「ぼっち」って大変
昨日は文武両道の日でした。
武・・・ビバ2でDDRしてカラーズ鬼、初めてつないだ。(GOOD1だけどw)何年かかったんだろう?やっぱり筋トレからやっていれば良かった。
文・・・午後から勉強会。まあ今年はいろんな勉強会に行ってためになってます。
勉強会の中で、今時の青年の文化を解説しているところがあり・・・
「リア充」と「ぼっち」という言葉でした。
リア充というのは、リアル生活が充実している(=コミュニケーション能力が高く、社交性があって友人も多い、その結果、バーチャルな世界に浸る暇もない人、もしくは彼女持ち)ということで、バーチャルな世界に浸らざるを得ない人からのやや皮肉を込めた言葉らしいです。
ぼっちというのは、ひとりぼっちの略で、特に学校で友達が少なく、ひとりぼっちで行動をしている人のこと。これも一人でいるところを周囲にみられることを恐れ、一人で行動する=コミュニケーション能力が低く、協調性が少ない、積極性がないという烙印を押されることでもあります。
私が高校生の時は、結構一人でお弁当を食べている男子が多かったように思います。もしくは弁当を食べる相手が不特定&食堂に思い思いに行く・・・など。
でもまあ、今頃はLINEやTwitterで情報が広がるので、一人でいる=友達を作れないきもいやつって思われたら大変なのでしょうね。
そういう意味では若い人は大変だ。がんばらないといけませんね。
私は普段、人にまみれて生活しているので、自分の時間ぐらいは一人になりたいです。
これも若いときにたくさん友達がいて、すぐにでも話せる友人がいるというのが前提の、余裕の発言であって、友人を作りにくい人にとっては、一人になりたいという発言は、いらっとくるんでしょうね。
でもみんながみんな、社交的じゃないんだし、一人でいることと言うのも普通にあって良いことだと思うんですけどね。
これも、群れることで連帯感を常に感じていたい若者特有の性質から生まれた言葉ですね。
もはや私には、関わりのないことでござんす。