東山魁夷展と縮景園に行ってきた。
10月に入っても真夏みたいだったのですが、昨日からすっかり涼しくなりましたね。
ということで、秋のお出かけシーズンです。
まずは芸術の秋ということで東山魁夷展に行ってきました。
この青緑色が印象的な日本画の巨匠。
中学生の頃、教科書に載っていた東山魁夷の絵を見て以来、何気なく見てきたけど、今回は初期から晩年までの絵を見ました。
芸術家の熟達の過程が見えて良かったです。
次にその隣にあった縮景園に行きました。
まずは抹茶セットで一服。
抹茶がおいしかったです。
後は庭園を見て回りました。
縮景園とは・・・HPを引用しますと・・・
縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。
園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。
この種の庭園は、回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。
池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。
昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定された。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。
日本庭園のミニサイズてんこ盛りのお庭で、どこを歩いても絵になりました。
落ち着くなあ~(^o^)
楊貴妃の頭飾りに似ているらしい。
ビルが邪魔です。
橋です。
有名な跨虹橋です。
何気なく竹林。
どこを歩いても、写真が撮れるんです。
そして・・・
でっかい鯉がいましたよ~
えさをやったので、ものすごい数の鯉がよってきましたwwww
やべえwww
これからカープには頑張ってもらわないと!
縮景園、若いときはいまいちぴんときませんでしたが、癒やされました。